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Goddess Garden AINA*HANAU - 女性の心身のサイクルをALOHAにサポート


「苦しみが わたしを救う」という言葉

2019年8月20日

みなさま

ALOHA

こんにちは。

 

暦ではもう秋、日中は暑くても
夜の虫の声が秋の声になってきましたね。

 

 

夏の夜長(笑)、寝る前の本の中に
こんな言葉を見つけました。

 

 

「『私が苦しみから救われる』のではなく
『苦しみが私を救う』のです」

 

ローマ法王の側近としてバチカンにおられた
尻枝正行神父の言葉です。

 

 

尻枝神父のキリスト教との出会いは
「レ・ミゼラブル」の一説のような
ある出会いでした。

 

 

貧しく生き抜くのも大変だった戦後
少年だった尻枝神父は
米軍のピカピカの釘が
売れるだろうと盗みに入ります。

 

 

ある程度詰めたところで
首根っこを捕まれて振り向くと
黒い服を着た外国人が立っています。

 

 

その人(神父さま)は何も言わず
そのまま少年のリュックに
釘をいっぱいに詰め
「足りなかったらまた いらっしゃい」と帰します。

 

 

そこで尻枝神父が 神に出会われた話は
ご存知の方も多いかもしれません。

 

 

私たち人間は、今ある苦しみから
なんとか救われたい、癒されたい
楽になりたいと呻き、もがき、
救いを求めて手を伸ばし続けます。

 

 

その痛み、苦しみは きっと
ご本人が言葉にしている以上に
時には 言葉にできないくらい
重く、辛いものなのだろうなと
感じます。

 

 

笑顔で隠しているけれど、
心では涙の雨が降り続けている状態です。

 

 

けれど、手を伸ばして掴んだものが
本当の救いや癒し、楽になる方法では
ないことがほとんどで

 

 

一時的な慰めはあっても
次の瞬間や明日にはまた
その苦しみの繰り返しループに
入っていくことが多いように思います。

 

 

その原因は

苦しみは 「取り除く」ものではなく
苦しみこそが 魂の本当の声を
伝えてくれるものだ ということを

 

 

私たちは教えられて来なかったし
体験的にも 知らないことだからです。

 

 

まして苦しみの最中にいる時
自分一人では そのことになかなか
気づけないものだからです。

 

 

苦しみに慣れてしまい
苦しみそのものを
人生にする必要は
決してありません。

 

 

でも私たちは 時に
苦しみに出会って初めて

 

 

自分の心の声や
置き去りにしてきたものに
気づく生きものなのかもしれません。

 

 

そして、それは身体の声も
同じだなと思います。

 

 

痛い、つらい、しんどい、
怠い、熱が出る、
身体が動かない
がんなどの病気が見つかる…。

 

 

その苦しみや辛さを
出来る限り取り除きたい。

 

 

できることなら楽にして
癒してあげたい。

 

 

セラピストや医療に携わる者は
そんな切なる気持ちに駆られます。

 

 

 

でも、苦しみが私達を救うのであれば

 

 

できればそんなセラピストの想いを

 

もう一つ乗り超えて

 

その人の身体と心の苦しみや痛みに
ALOHAの心で静かに耳を傾けたら

 

 

あとは
その苦しんだことが
その人の救いとして活きるように

 

 

この先の人生の
より明るい道しるべになるように

 

 

本当の笑顔になる方向に
少しだけ角度を変えて歩き出せるように

 

 

その切り替えポイントの時に
そっと隣にいられたらいいなと思います。

 

 

逆に、余計なあれこれをしないで
それだけができる心を持てたら
いいなと思うようになりました。

 

そんな風に真に人を
後押ししてくれる手や心は

 

 

華やかな場所ではなく
見えないところや静かなところに
当たり前のようにひっそりあって

 

 

私自身も そうした手に
後押ししてもらってきたことに
ようやく気づき始めたところです。

 

 

「『私が苦しみから救われる』のではなく
『苦しみが私を救う』のです」

 

 

何度も噛み締めたい言葉になりました。

mahalo